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- 目の神様やアマビエ像も。歴史ある立川・諏訪神社への初詣であやかりたい勝負と商売繫盛のご利益
御朱印やかわいらしいお守りが目当ての神社巡りが趣味という人が増加中。神社はそれぞれに伝わる由来があり、街の歴史との関係も深い場所だ。神社からお散歩をスタートすると、何度も訪れている駅も、初めて降りる駅も、これまでとは違う景色が見えてきそう。
気分も晴れ晴れ、中央線から神社さんぽに出かけよう!
立川駅
目の神様やアマビエ像も。歴史ある立川・諏訪神社への初詣であやかりたい勝負と商売繫盛のご利益
立川駅から徒歩約10分の場所に、広い境内を持つ諏訪神社。広いのは境内だけでなく、氏子地域は約50町会もあるそう。普段は静かな境内だが、初詣、8月下旬に開かれる例大祭など、行事のたびに近隣の人たちが集ってにぎわう。戦いや土地の開拓の神様が祭られているので、勝負運や商売繁盛を願ってお参りする人も多い神社だ。スポーツの大会やコンテスト、就職・転職活動、資格試験など、負けられないイベントを控えているときの行き先にいかが?
1200年以上地域に愛され、2度も大火から復活。初詣も大賑わい
諏訪神社の主祭神は、大国主神(オオクニヌシノカミ)の2番目の子どもとして古事記に登場する建御名方神(タケミナカタノカミ)。「タケ」は勇猛、「ミナ」は水、「カタ」は潟の意味。水のそばに住む勇ましい神様という意味だ。勝負や開拓の神として知られ、徳川家康や武田信玄など、名だたる武将も信仰していた。
諏訪神社は、長野県の諏訪大社から、弘仁2(811)年7月27日に柴崎村(当時)の神様となるため分祀されたと伝わる。分祀された当初は、隣接する諏訪の森公園のある場所に社が建てられ、寛文10(1670)年に現在の場所に移った。
諏訪神社は、長野県の諏訪大社から、弘仁2(811)年7月27日に柴崎村(当時)の神様となるため分祀されたと伝わる。分祀された当初は、隣接する諏訪の森公園のある場所に社が建てられ、寛文10(1670)年に現在の場所に移った。
諏訪神社はこれまで2度の大きな火事に見舞われている。1度目は天正14(1586)年、2度目は 平成6(1994)年。平成の火事はかなり大きく、社殿が消失しただけでなく、境内に立っていた木々も失われてしまったのだとか。現在の本殿や拝殿が平成14(2002)年に完成。重厚ながらどこかモダンな印象だ。
1200年以上にわたって立川の人たちから親しまれている諏訪神社。1年でいちばん大きなお祭りである例大祭は8月28日から近い金、土、日曜日の3日間で行われている。実はこのお祭りは、近年になって「立川諏訪祭り」として立川市と一緒に行われるようになった。6基の神輿が街を練り歩き、境内にある土俵で相撲や市指定無形民俗文化財の獅子舞が披露される。神社の周りには100店近い出店が出るというから、童心に返って楽しめそうだ。
初詣も参拝客で大いににぎわう。神輿会の一つによって大晦日から元日の未明にかけてお酒が振る舞われるのも恒例だ。年明けに、受験や資格試験、就職・転職といった負けられない勝負を控えていたり、新しい挑戦を考えていたりする人は、諏訪神社へ初詣に訪れて祈願してみては?
初詣も参拝客で大いににぎわう。神輿会の一つによって大晦日から元日の未明にかけてお酒が振る舞われるのも恒例だ。年明けに、受験や資格試験、就職・転職といった負けられない勝負を控えていたり、新しい挑戦を考えていたりする人は、諏訪神社へ初詣に訪れて祈願してみては?
背景にも興味が湧く、目の神様とアマビエ像
多くの神社の境内には、近隣の区画整理などの結果、移動を余儀なくされた末社が並んでいる。諏訪神社も例外ではないが、並びに立っている新しい石像が目をひく。そのモチーフはコロナ禍で一躍有名となった疫病封じの妖怪、アマビエだ。
アマビエ像は、令和3(2021)年にできたばかり。石像を作ったのは地元のロータリークラブのみなさんで、アマビエ像を作ることが先に決まり、「さて、どこに設置しようか」となったとき、諏訪神社の境内に置かせてもらえないかと打診されたのだとか。コロナ禍で一気に知名度が増し、ユーモラスな表情に親しみを覚えるアマビエ像は、参拝者にも人気がある。
そして見逃せないのが、その左隣にある目の神様を祭る祠だ。現在の祠は3代目で、昭和3(1928)年に作られた。目の神様は、諏訪神社の境内で起こった民間信仰で、いつごろ始まったものかは神社の神職さんたちにもわからない。
そして見逃せないのが、その左隣にある目の神様を祭る祠だ。現在の祠は3代目で、昭和3(1928)年に作られた。目の神様は、諏訪神社の境内で起こった民間信仰で、いつごろ始まったものかは神社の神職さんたちにもわからない。
言い伝えによると、諏訪神社の御神木として立っていたもみの木に、自然に水が溜まり、村人がその水で目を洗ったところ、目が良くなった。それ以来、御神木であるもみの木が目の神様として拝まれてきた。しかし平成の火事で御神木のもみの木は燃えてしまい、残った祠だけが移設され、祠の前に地下水が引かれた。一体なぜ村人が御神木に溜まった水で目を洗うに至ったのか、その背景にも興味が湧いてくるストーリーだ。
自分でお守りを作れる! 絵馬とセットの夢叶守(ゆめかなうまもり)
お守り袋の中身は、出して見るものではないと聞いたことがある人も多いだろう。一般的にお守り袋の中には、内符(うちふ)と呼ばれる小さなお札が入っている。諏訪神社で受けられる夢叶守は、その内符を自分でお守り袋に納めるという、画期的なものだ。
夢叶守は、絵馬とお守りがセットになっている。絵馬の中央部分が抜き取れて、内符になるという仕組みだ。抜き取った内符は付属しているお守り袋に入れて持ち帰り、願い事を書いた絵馬は境内の絵馬掛けに納める。
この夢叶守は、実は長野の諏訪大社で頒布されているもの。諏訪大社の宮司さんから、諏訪神社でも頒布してはどうかと提案があり、令和4(2022)年ごろから頒布が始まった。そのため絵馬には諏訪大社の印が押されている。立川の諏訪神社で受けた夢叶守に親しみを感じたら、特急「あずさ」に乗って諏訪大社を参拝するのも良さそうだ。
身近なサポートに目を向けるきっかけに
諏訪神社へは立川駅南口を出て徒歩約10分。駅に近い場所から神社名に由来する諏訪通りと呼ばれる商店街が続いている。諏訪神社が1200年以上という長い時間、街にとって大きな存在である証の一つだ。平成6年の火事に見舞われたあと、現在の社殿が建てられたのも地域住民の力添えがあったから。しかし行事の日以外、境内は静かで、そのギャップにもどことなく励まされる。普段は感じられなくても、実は支えあっている周囲との関係に目を向けたくなりそうだ。
DATA
取材・文・撮影=野崎さおり
上記の情報は2024年11月現在のものです。
※料金・営業時間・定休日などは変更になる場合がありますので、事前にご確認ください。
※表記されている価格は税込みです。
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